親が元気なうちに始める将来設計:医療・介護・財産の意思決定を託す方法
はじめに:親が元気なうちから将来について考えることの重要性
高齢の親を持つ世代にとって、親の将来、特に「もしも」の事態が訪れた際の医療や介護、財産に関する不安は尽きないものです。親が元気なうちは、こうした話題は避けられがちかもしれません。しかし、実際に親の判断能力が衰えたり、重篤な病気になったりしてからでは、本人の明確な意思を確認することが難しくなる場合があります。
親がご自身の人生の最終段階をどのように過ごしたいか、どのような医療や介護を受けたいか、財産をどのように管理してほしいかなど、将来に関する意思決定を、親ご自身が主体的に行える「元気なうち」に準備しておくことは、非常に重要です。これにより、予期せぬ事態が起きた際にも、本人の希望に沿った対応が可能となり、家族が過度な負担や意見の対立を抱えるリスクを減らすことにも繋がります。
本記事では、親が元気なうちから将来の意思決定について考え、もしもの場合に備えてその決定を誰かに託すための具体的な方法について解説します。
将来の意思決定とは:医療、介護、財産に関する選択
将来に向けた意思決定は、主に以下の三つの領域に関わります。
- 医療に関する意思決定: 延命治療を希望するかどうか、緩和ケアの利用、どのような医療行為を受けたいかなど、終末期医療を含む将来の医療に関する希望です。これらはアドバンス・ケア・プランニング(ACP)やリビングウィル(事前指示書)として具体的に文書化されることがあります。
- 介護に関する意思決定: どのような場所で、どのような介護サービスを受けたいか、自宅での生活を続けたいか、施設への入居を希望するかなど、将来必要になる可能性のある介護についての希望です。
- 財産に関する意思決定: 預貯金の管理、不動産の処分、公共料金や税金の支払いなど、日常生活や医療・介護に必要な費用に関する財産の管理や手続きについての意思です。
これらの意思決定は相互に関連しており、例えば特定の医療や介護を受けるためには財産を管理・活用する必要があります。そのため、将来の準備を考える際には、これらを包括的に捉えることが望ましいでしょう。
もしもの時に備える準備の種類:意思表示と意思決定を託す方法
親が元気なうちから将来に備える準備には、大きく分けて「意思表示の準備」と「意思決定を託す準備」があります。
意思表示の準備:希望を明らかにする
これは、親ご自身が将来受けたい医療や介護について、前もって希望を表明しておく準備です。
- リビングウィル(事前指示書): ご自身の終末期医療に関する具体的な希望(例えば、回復の見込みがない場合に人工呼吸器の装着を希望しないなど)を記した書面です。法的な拘束力には限界がありますが、ご本人の意思を示す重要な参考資料となります。
- アドバンス・ケア・プランニング(ACP): 将来の医療やケアについて、ご本人・家族・医療従事者などが繰り返し話し合い、共有するプロセス全体を指します。「人生会議」とも呼ばれます。特定の書面を作成するだけでなく、対話を通じて希望を整理し、変化する状況に応じて見直していく動的なプロセスです。
これらの準備は、親ご自身の意思を明確にするために不可欠ですが、これだけでは判断能力が衰えた後に、実際の契約行為や財産管理などを他者に「託す」ことはできません。
意思決定を託す準備:誰かに権限を委任する法的な手続き
親の判断能力が衰えた場合に備えて、事前に信頼できる家族や専門家などに、医療・介護・財産に関する意思決定や手続きを代わりに行ってもらうための法的な準備です。
- 任意後見制度: 親ご自身に十分な判断能力があるうちに、将来判断能力が不十分になった場合に、ご本人に代わって財産管理や生活・療養看護に関する事務(医療や介護に関する契約・手続きを含む)を行う「任意後見人」を、あらかじめ契約で定めておく制度です。公正証書で契約を結び、判断能力が衰えた後に家庭裁判所が任意後見監督人を選任することで効力が生じます。
- 財産管理等委任契約: 親ご自身に判断能力があるうちに、特定の財産管理や事務手続き(例えば、預貯金の引き出し、公共料金の支払い、施設の費用の支払いなど)を、代理人に委任する契約です。任意後見契約と異なり、判断能力の有無に関わらず、契約の効力はご本人と代理人が定めた時から発生させることができます。将来の財産管理に不安がある場合などに有効です。
- その他の選択肢(見守り契約など): 見守り契約は、定期的な訪問や連絡を通じて本人の状況を見守り、必要に応じて関連機関への連絡や手配を行う契約です。財産管理や任意後見契約と組み合わせて利用されることがあります。
これらの法的な手続きを活用することで、親ご自身の意思が尊重されつつ、もしもの際にもスムーズに必要な手続きや意思決定が行われる体制を築くことが可能になります。特に、任意後見契約や財産管理等委任契約は、単なる「希望の表明」に留まらず、具体的な「代理権の付与」を伴う点が特徴です。
準備を始めるための具体的なステップ
親が元気なうちに将来の準備を始めるためには、いくつかのステップを踏むことが有効です。
- 親との話し合いの機会を持つ: まずは、親ご自身が将来についてどのように考えているのかを聞くことから始めます。「将来、どこでどのように暮らしたい?」「病気になったらどんなケアを受けたい?」など、漠然とした質問から入り、親の希望や不安に耳を傾けます。終末期医療の話はデリケートなため、「もしも」という切り口や、テレビ番組などで話題になった事例などを引き合いに出すと、話しやすくなることがあります。
- 家族内で情報を共有し、話し合う: 親の希望を家族間で共有し、話し合います。きょうだいがいる場合は、それぞれが抱える考えや役割分担についても検討します。意見が異なる場合は、時間をかけて丁寧に話し合う姿勢が重要です。
- 専門家への相談を検討する: 将来の意思決定を託す法的な手続き(任意後見契約や財産管理等委任契約など)を検討する場合は、法律の専門家(弁護士、司法書士)に相談することをお勧めします。これらの契約は専門的な知識が必要であり、将来のトラブルを防ぐためにも、専門家のアドバイスを受けながら進めることが賢明です。また、将来の生活設計や資産管理については、ファイナンシャルプランナー(FP)に相談するのも良いでしょう。
- 公的な窓口を活用する: 地域包括支援センターは、高齢者の様々な相談を受け付けている地域の窓口です。医療、介護、生活に関する相談や、必要に応じて適切な専門機関への連携支援なども行っています。まずはこのような身近な窓口に相談してみることも有効です。
- 必要に応じて書面を作成する: 親の意思や、話し合いで合意した内容、任意後見契約などの法的な手続きについて、必要に応じて書面としてまとめます。リビングウィルやACPのまとめ、任意後見契約公正証書の作成などがこれにあたります。
これらの準備は一度行えば完了するものではなく、親の状況や家族の状況の変化に応じて、定期的に見直し、必要であれば内容を更新していくことが望ましいでしょう。
おわりに:将来への備えがもたらす心の平穏
親が元気なうちに将来の医療・介護・財産に関する意思決定について考え、準備を進めることは、親ご自身の尊厳ある最期を支えるだけでなく、それを支える家族の心の準備にも繋がります。
漠然とした不安は、情報がないことや、具体的な行動を起こせないことから生じることが少なくありません。今回の記事でご紹介したような準備の選択肢を知り、親や家族と話し合い、必要に応じて専門家のサポートを得ながら具体的な一歩を踏み出すことで、将来への漠然とした不安は、具体的な「備え」へと変わっていきます。
この「備え」があることが、親にとっても、そして家族にとっても、将来への心の平穏をもたらすことでしょう。後悔のない選択をするために、できることから少しずつ始めてみてはいかがでしょうか。